中島みゆきをこよなく愛する、美優です!
今回は、中島みゆき10作目シングル
「あした天気になれ」について紹介します。
目次
中島みゆき「あした天気になれ」について
中島みゆき「あした天気になれ」は、
10作目のシングルで、
1981年3月21日にキャニオン・レコードよりリリース。
作詞・作曲は中島みゆき、編曲が、星勝です。
1981年3月5日、アルバム『臨月』を発売してすぐにシングルカットされました。
ほぼ同時と言ってもいいほど・・・
収録されているアルバムは、
「臨月」のほか、
1986年1月5日発売の「中島みゆき THE BEST 」
1987年8月5日発売の「Singles」(3枚組)
1989年3月21日発売の「中島みゆき PRESENTS BEST SELECTION 16」
に収録されています。
カバー曲が、柏原芳恵の1983年アルバム「春なのに」に
収録されています。
B面(カップリング曲)は研ナオコのアルバム『かもめのように』のために書かれた「杏村から」。
中島みゆき「あした天気になれ」カップリング曲「杏村から」について
中島みゆき「あした天気になれ」のカップリング曲
「杏村から」は、
作詞・作曲が、中島みゆき
編曲は、安田裕美
「杏村から」は、
研ナオコのアルバム『かもめのように』のために書かれた曲です。
「あした天気になれ」発売の1981年、中島みゆきは・・・
「あした天気になれ」発売の1981年、中島みゆきは、
2月21日~
映画「海よ お前が─帆船日本丸の青春─」(監督:蜷川幸雄)の主題歌に『海よ』、挿入歌に『世情』が起用。
3月20日、TBSテレビ系ドラマ「3年B組金八先生(第2シリーズ)」(第24回)の挿入歌に『世情』が起用。
3月~6月、
富山県民会館を皮切りに全国コンサートツアー『寂しき友へ』(29公演)を行う。
1981年12月~翌年3月、
小倉市民会館を皮切りに全国コンサートツアー『寂しき友へII』(28公演)を行う。
ひとこと
「あした天気になれ」の歌詞で気になった「絶望的観測」。
絶望的観測は希望的観測の反対語。
希望的観測とは、「そうあって欲しい」とか「そうだったらいいな」という希望に影響されて判断を行うこと。
一般に、好ましい結果が好ましくない結果よりもありそうだと予測することを指す。
(出典:ウキペディア「希望的観測」)
「絶望的観測をするのが癖」というのは、好ましくない結果を想像するのが癖ということなんですね。
俗にいう「ネガティブ思考」かな?
「杏村」って、あったのでしょうか?
「杏村」は明治7年(1873年)頃まで、今の長野県にあったみたい。
1873年に合併で「梓村」になり、
「梓村」は1955年合併により、「梓川村」となり、
現在は松本市になっているようです。
中島みゆきの「杏村」は、
空想の村か
もしくは杏の産地の可能性の方が高いと思いますけど・・・
本当は、歌詞とか歌詞の意味とかについて
書きたいと思っていたのですが、
著作権侵害に触れてもマズイなと思っていたら、
こんな方向になってしまいました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
まだまだ頑張ります!
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